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特別展「古文書から見る日光例幣使道玉村宿ー宿絵図を中心にー」

2021年10月05日 玉村町歴史資料館


玉村宿大黒屋加賀美家「玉村宿絵図」初公開!
 
 玉村宿は、日光例幣使道第一番目の宿場であり、上新田村(群馬郡)と下新田村(那波郡)から成り立っています。
 宿の全長は約2,610m、道幅は約5mで、4丁目から7丁目にかけて50軒ほどの旅籠屋がたち並び、6丁目に本陣、4丁目と7丁目に問屋場がおかれていました。
 東西に中山道の倉賀野宿から分岐し、壬生道の楡木に至る日光例幣使道が通り、南北には中山道の本庄宿から玉村、渋川を経て三国街道に出る佐渡奉行街道といわれた三国街道の別路が通る交通の要衝であり、また飯売旅籠屋も数多くたち並び宿場として繁栄しました。この道を江戸時代の221年間通行した日光例幣使の一行は、通例毎年4月11日の夕方に玉村宿に到着し、翌日早朝には、つぎの宿泊地である天明宿(栃木県佐野市)を目指して出発しました。
 残念ながら、慶応4年(1868)1月11日の大火により、4丁目から9丁目までのほとんどが焼け、本陣もこのとき焼失してしまいました。そのため、現在の建物の多くは明治以降のものですが、宿場としてのたたずまいは今も受け継がれています。
 このたび、かつて町誌編さん時に利用させていただき、その後、蔵の中で所在不明となっていた加賀美家文書が、数年前に現ご当主により発見され、昨年当館で整理を行い、今年5月に当館へお預けいただく(寄託)こととなりました。加賀美家は、下新田5丁目南側日光例幣使道沿いの玉村宿の中心地に、大黒屋の屋号で平旅籠屋を営んでいました。
 加賀美家文書は玉村宿の宿並を見る上でかかせない絵図を数点有する他、玉村宿にまつわる記録としての古文書、明治時代からは郵便局を営み、貴重な歴史を持つことから、これを記念し、加賀美家文書のお披露目を中心に、当館で所蔵する玉村宿にまつわる絵図や古文書を展示し、玉村宿を紹介します。
 さらに、玉村宿のランドマ-クであり、今年2月に町重要文化財に指定された井田家住宅の新指定を記念し、現地見学会も実施します。

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